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~子育てに行き詰ったら~人間関係が煮詰まったら~


by kinnowaraji53

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# by kinnowaraji53 | 2012-02-09 21:15 | その他

兄弟は他人の始まり

寂しい事ですが、兄弟姉妹は他人の始まりとは、よく言ったものだと思います。

私には1歳違いの姉がいますが、ほとんどお付き合いがありません。



姉妹でこうなる場合の大半は、嫁いだ家の事情が多いそうですが、

私の場合は同じ家にいた頃から価値観の相違が大きかったのが

結婚してから格差ができて 姉が妹に嫉妬して、

更にその溝が深まっただけだと思っています。



姉は親とも価値観が合わず、私より親元に近いのに

両親の死に目にも会えなかったくらいで、親とも疎遠でした。



姉は自分が大変な親不幸をして来た事にも自覚がなく、

今では、夫からも親戚からも見放されているくらい

自己中心的な価値観で、「世界の中心」にいる人です。



それで一生、好きに生きて行けたら幸福かも知れませんが

好き勝手している割に年中不平不満を言い続けているので不幸なのかもね~

自ら招いた不幸としか思えませんが、、、



同じ家に住んでいて、親が掌握する小世界で固まっていると

お互いの不都合な事を抑え込み、協調しあっているのでトラブルが避けられますが

自分の生きやすい世界を作って出て行くと、その人らしさが伸びて

良くも悪くも、違う方向へと加速するでしょう。



かつて、まとまった一つの家族であったが、離れて暮らしている家族と言うのは

今まで通じ合っていた言葉が通じなくなるような、バベルの塔現象です。

(バベルの塔=聖書・人の奢りを窘める為に塔を壊し言葉をばらばらにした為コミュニケーションが取れなくなった。)



良かれと思っての一言が、誤解されたり、

相手を慮ってのねぎらいが、逆に余計なお世話と思われたり、

ただの兄弟げんかで終わるはずの些細な行き違いに配偶者の思惑や

更に配偶者の両親の価値観までが介入してくると、ややこしくなります。



それぞれが自分の立場を守ろうとしますし、比較と嫉妬も有ります。

何の気なしの一言がトラブルのきっかけにもなり得ます。



幸いな結婚式を二つ、乗り越えようとしている我が家ですが。。。

必ずしも100%ではないのです。

そりゃいろいろある~幸福のために親は言葉を飲みこんでいるのだよ。



誰もが新郎新婦の幸福を祈りつつ、そこに価値観の違いは歴然とある。

「Aは良いよ~」と思う一言が、「Bはダメだ」に聞こえたりもする。

人の想いが絡まると言葉は別の意味を持つから怖い。



「そう言う意味じゃないよ」と親しい関係ならすぐに訂正できることだ。

しかし、同じ屋根の下に住んでいなくて、言葉を交わすのにもタイムラグが生じて

思わぬ方向に誤解が進んでいく事もある。



子は配偶者ができたら他人だと思った方が良い。

兄弟は家を離れた時点で他人だと思った方が無難だ。



ともかく、親の手を離れた時点で もう「大人」 対 「大人」 

「他人」 対 「他人」と思った方が無難だろう。



他人くらいに礼節を尽くして接した方が間違いはない。

慣れ合いや、甘えが、つい本音を口走り、それはもう通用しなくなっているのだ。

聞き流せたはずの言葉が誤解の原因になる。



家族の間でそんな遠慮は~とか、家族なんだから甘えて良いとか言い始めたら

甘えられない家族(嫁や婿)が辛い想いをする事もある。



最近 御子息の結婚式を終えた友人に聞くと、

「あったよ~そりゃいろいろあるさ~だけど黙るしか無いじゃん」と言う。



そうなんだよね。

きっと私の親はもっともっとたくさん飲み込んでくれたはず。

沢山泣いたはず。

娘の幸せの為に、飲み込めないくら呑み込んで黙っていてくれたんだね。感謝



耐え難きを耐え忍び難きを忍び~ってとこかな。

そしてそれは、自分だけがそうなのではなく、お互い様だと思う。

きっとたくさん飲み込んでおられるはずだ、相手のご両親も兄弟姉妹も。
# by kinnowaraji53 | 2012-02-09 09:13 | 家庭教育

カミングアウトの難しさ

私は、自分が癌だとか糖尿病だとか言う事に 躊躇はない。

それは、自分がその事実を既に受け入れて、病によって動じないからです。



病気が深刻でも隠す気はないから病名を言う事には全く平気なのだが、、、

言われる側はどうかと言うと、それは微妙なんだわ~



同病の人で、同じように「病である事を受容している人」は明るい対応だ。

「な~んだ、そうだったの~!一緒ね~」と即お友達になれる。

なんだって、受け入れたら楽になると言う見本ね。



同病だが受け入れていない人は、なぜそう簡単にカミングアウトできるのか怪訝そう

そして、「きっとあなたが私より病状が軽いから そう言うのね」と思いたがる。

決してそうではない人も、自分の方が深刻なのだと思いたいらしい。



なぜか病気が重い方が勝った!みたいな雰囲気があるのは不思議だ。

不幸勝負をする人に多い心理だ。

私の方がもっと辛いと言う事で、悩んでいる自分を肯定したいのだろう。

その肯定は自分を不幸に導いているにすぎないので早く気付いて止めた方が良い



更に、癌にも糖尿病にも無縁で、全く理解の及ばない人は、

芸能ニュースを聞くように「へ~そうなんだ~大変ね~」、と全く人ごとで、

心配そうにして下さり、労って下さるのだが、感情がこもらない。



同情心満々で悲劇的に反応する人は迷惑

私は、病と闘うどころか うまく共存しているのだから

悲劇でも無く、悩んでもいないし、むしろ病に感謝しているのに

お門違いな気がして非常に居心地が悪い。



反応がいろいろだから、カミングアウトする時は

その場の雰囲気と、相手の心理を考慮して言い方を変えている。

或いは言わない事もある。



実は私~なのよ~の告白でどんびきする事もあると思う。

価値観の違いが特に「引く」原因になる。

なぜそれを、ここで、今 言うかな~?と言う感覚だ。



そう言った典型的な「空気が読めない人」が叔父です。

癌の私に 全く根拠のない癌話を やたら 長々と話したがり、

励ましているのやら、惑わしているのやら~時間の無駄。

でもきっと 元は親切なのでしょう。と思う事にしている。



また、癌友の一人は超がつくペシミストで なおかつ場の空気が読めない。

良い治療法があるんですって~親切な話題を振った人に、笑顔一つなく

誰にでも効くとは限らないわ。と一刀両断して相手を凍らせて一瞬で黙らせた。



フォローするのに疲れるくらい何でも頭から否定する。

効くか 効かないか 人によるなら試してみる価値があるわね~とフォローしたら

私は無理。と聴く耳も持たない。だからあなたは誰にも誘われなくなるのだね~

受容し慣れた私もそろそろ限界だわ。と思う。



否定する人には不安が強い。

不安が強い人は守りに入る。

守りに入る人は前進できない。

前進できない人は病に負ける。



まず肯定。

そして攻めに転じる。

更に、日々前進する。

そして、病に勝とうなんて大それたことは考えないが

病とうまく共存して、あやしながら楽しく生きるのが私のスタイル。



プラス思考で、共感できる人と長くお付き合いしたいと思う。
# by kinnowaraji53 | 2012-02-08 09:53 | 心理
昔、医療がまだまだ未熟だった頃は、
医者が手に負えないと感じたら「転地療法をお薦めする。」と言えば良かった。

医学が及ばないことは神様が癒すと言うことだろうか、
或いは空気が良くて、時の流れが穏やかで、神前な食料があれば
人間の自然治癒力が上がると言うことかもしれない。

誰でも感じることだが 自然には 癒しの力がある。
壮大な海を前にしたら、自分のくよくよなんか ちっぽけに思えたり、
寄せ来る波の、絶え間ない姿を見たら 自分の努力なんて まだまだだと思えたり、
高い山を見ていたら、登ってみなきゃ 向こう側は見えないと思えたり、
アスファルトも押しのけ芽吹く小さな雑草の力強さに 感動を覚えるかもしれない。

私たちは千の言葉を駆使して諭されるよりも
自分で気が付く方が はるかに心の回復力が 強いのです。
だから 自然に接して生活することで改善されることは たくさんあると想います。

厳しい大自然の中では、うだうだ言っている暇がないのも事実かもしれませんね。
生きる事に真正面から向き合っている生活は、小さな悩みを吹き飛ばします。

さて、童話の中には、心に響く良い本が多いのはなぜでしょう。
それはシンプルに「人とは~」を教えてくれている心理学の教科書だからです。

裸の王様を読めば、自分の姿を知らないのは自分だと言う事が解ります。
イソップ物語の多くは、人の愚かさを動物に例えて語ります。
本当は怖いおとぎ話などのように、書き直される前の童話は
かなり残酷で、人の心理の怖さ、醜さ、を物語っています。

子供の目で見た世界は素直です。それ故、真理を突いています。
また、子供に解るように書こうとすると、シンプルになります。
だから、童話から学ぶのは とっても楽なのです。

都会で、マイナスイオンの少ない状態で機械的に働いていると
どんどん人間性が薄っぺらくなったり、心理的にアンバランスになりそうですよね。
人と関わる事も億劫になっていたら、是非 大自然にどっぷりと浸りきって下さい。

至れり尽くせりの旅館や、行き届いたハイセンスのホテルではなく
鄙びた民宿や、YHや、山小屋等、なるべく不自由な方が良いです。

TVもなく、人工的雑音が少なく、生きるに必要な最低限しか確保できない場所で
花鳥風月と親しんでいると、心が洗われます。

自然に浸るのも、かなり贅沢な話ですけどね。
転地療法の良さは、心が自由になる事かも知れません。
「~ねばならない」「~すべきだ」「~これが正しい」「~いつまでにせよ」
そんな枠を取っ払った世界が心に良いようです。

陽が登れば目が覚める。日が沈めば眠くなる。
空腹を満たすには自分が動かねばならない。
水を汲むにも火をおこすにも自分が動く必要がある。
生きることが受動的ではなく、能動的になって、生きる意味を考える暇もない。

原点に帰ると、人はたくましくなるようです。
山に登るときには自分が背負えるものしか持って行きませんね。
それだけあれば生きて行けるって事かもしれませんね。

私の母教会は神学校ですが、神の奉仕者として身を捧げるのに
最低限の物だけを持って入学します。(全寮制)
それは「両手に持てるものだけ」とされています。
マザーテレサも人が生きてゆくのに必要なものは両手に持てるだけと言います。

そして人を助けようとしたらそれ以上が必要なのではなく、
今持っているものを手放して両手を空けることが重要だと言います。

持ち過ぎると 重く、苦しくなります。
守るものが多過ぎると 臆病になり、チャレンジできなくなります。
シンプル イズ ベスト です。
# by kinnowaraji53 | 2012-02-07 11:20 | 心理

髪 カラー 禿

若い頃、毎日、ブラウンの髪を きちんとカーラーで巻いて寝ていた。
朝それを梳かしたら、見事な「ゆる巻き髪」になっていて、
縦ロールを揺らしながら出社していた。実に実に御苦労なことだ。感動すら覚える。
当時、職場では「オスカル」と言われていた。(ベルばらの)

爪も奇麗に塗って、足の先から頭の先まで、完全武装のお洒落をしていた。
あのエネルギーはなんだったのだろう~と思う。
同じ人間とは思えない。
結婚後は忙しすぎて自分にそんな時間は一切かけられない。

でも、髪を手のかからないショートカットにしてからも、
カーラーのワンセットが捨てられずに長年鏡台の奥に眠らせてあった。
今、髪を伸ばしているので久々に引っ張りだしてみたら、使えるやん!!

問題は、自分が、昔のように上手く巻けるのかという点だ
やって見たら、完璧やんか! 昔取った杵柄じゃ~

朝からオスカル様再登場で、主人の目が点。
「どこへ行くんだ~」 「いえ、どこにも、、、ジムには行きますけど、、」
怪訝な主人を他所に、どや顔で私は自分の髪に自信を持ったのである

ただ、、、問題は巻いて寝ると言う苦難だ。
やったことがない人には解るまい。

頭全体に カーラーを捲いて寝ると、どうなるか。。。
カーラーにもいろいろあって、柔らかい素材も有るが、やはり異物だ。
寝苦しくないわけがない。拷問に近い。

なんで巻いて寝るのかとアホな質問も有るかと思うが、
一晩巻いた髪を朝梳かしたら完璧なんです。スタート時点で最高の気分。

忙しい朝 頑張って巻いても間に合わない。
ドライヤーではここまで奇麗に巻き髪にならない。
出かける時点で完璧ってのは気分上々です。

娘はドライヤー派で、へたくそなゆる巻き髪で出社している。
気の毒なくらいあかん頭ですが、娘が言うには「中身があかん頭」よりは良いと。

確かに!、、、うちらの頃のOLは職場の花。見た目重視だったが
今の娘の仕事は女性であるな!のキツイ仕事だから、見た目残念な頭で良い。

今度の結婚式は朝が早いから、美容院に行く時間がない。
それでこの髪形をどうまとめるかが目下最大の課題である。
ゆっくり寝られないのは体がきついので巻いて寝るのはネック

そこで、昨日近所の 大型家電店に行ってみた。
モッズヘアの出しているホットカーラーセットなら、条件を満たしてくれた。

奇麗に巻ける。時間がかからない。両手が空くので忙しくてもOK
値段も安かった。おまけにポイントも使ってきた。更におまけも付いてきた。
軽いので式場に持って行く事もできるし、海外でも使える。

娘のドライヤーやコテはナノだのイオンだのといろいろの機能があるが
手が痛い私はその重いものを持って手をあげっぱなしでセットするなんてのは
絶対無理。

時代の遺物のように邪険に扱われてきたカーラーだが、
使い慣れたものは良い。想ったスタイルに出来る。うい奴よのう~とほくそ笑む。
私はウィグ等を7つほど持っているのだが、良い点と悪い点がある。

難点は、夏場は暑い。ジムにはいけない。
異質な毛が当たるとかゆくなる。
カラーしたら毛の色が合わなくなる。

良い点は、すぐに外出できる。
シーンに合わせてすぐにヘアスタイルが決められる。
地毛は短くて良いから手入れが楽。

男性のかつらも、やくみつる氏の増毛暴露で話題騒然だが
やりたい人はやればいいとは思う、  が しかし、、、経費がかかるのと
急には「変身」できない諸事情もあるだろう。

第一の壁はプライドだと思う。
「そこまでしたくない」と言いつつ本音は「なんとかしたい」 とか
人目が気になって変身できない癖に、今だって相当人目を気にしている とか、
めちゃくちゃ気にしている癖に「気にしている自分だと思われたくない」 とか、
決断の邪魔をしているのは経済的理由より「心の葛藤壁」だ。

気にしているのに、かえって目立つ隠し方をするのが不思議でならない
1対9の髪の分け方をして、横の方から上に持ってくる髪の毛が
風でなびいて揺れる様は情けないの一言で、見てはならない気がして目をそらす。

もじゃもじゃにパンチパーマをかけて髪が多いように見せているのもどうかと、、、
どんなお仕事してはるん?と思ってしまう。

かといってフエルトのような物をくっつけている人や、
黒い粉をかけているのも見かけたが悲惨だ。往生際が悪いにもほどがある。
やるなら金をかけて、最新の技術で徐々に、それとなく増やして頂きたい。

だけど、
禿げたって良いじゃないか~ブルースウィリスのように、ユルブリンナーのように
セクシーでかっこよく禿げろよ~と思う。
自然が一番、むさくるしくない。さっぱりして清潔感がある。

あ、うちの主人ですか~もともとおでこが広いって言うか後退しているって言うか
娘は見返りザビエルと呼んでいますが、、、後ろ姿がザビエル化してきています。

でも考え方を変えれば「髪が後退している」のではなく
「自分自身の存在が前進している」のだ。とも言える。

主人には坊主をお薦めしていますが勇気がないようです。
だったらいっそ「侍」になれ~さかやきをそらずに済むぞ~!
生まれ変わって今度結婚する時は坊主も良いと思う。

世の禿を気にしている男性諸君、思い違いするな
禿を気にしているのは女性達ではなく 男性ですから。
# by kinnowaraji53 | 2012-02-05 09:25 | 心理