人気ブログランキング | 話題のタグを見る

~子育てに行き詰ったら~人間関係が煮詰まったら~


by kinnowaraji53

他者受容とは

自己受容と他者受容は正比例すると書きました。
では自己受容とは何がと言うと、自分を愛し、自分のあるがままを受け入れて
人生を楽しむ、自分賛歌ですね。

神様から頂いたこの命と この人生を感謝して
神様が与えて下さったくらいだから、貴重なものに違いないと信じ切って
「今できる最高」 を 楽しみながら行う事です。

こうする事によって、相手もまた、神様が許した存在
この世に在るべき人。 何かしら自分の知らない目的を持って
この世に在るべくしている人と思うと、その存在を認めて
有り得ないと思える言動にも 何かの意味があると信じられてきます。

でもね、有り得ない言動って幅があるよね。
例えば目の前で自殺しようとしているのを神の必然と思って受け入れていいのか
あるいは逆に殺されそうになっているのに相手の行動を受け入れていいのか

そんな事はありませんよ。
自分の命を守るのも相手の命を守るのも、それは正しい使命です。
命を重くとらえて、人生を大事にすれば、相手の道も自分の道も
正すべき時は正した方が良いのです。

ただ、正すべき時っていつだろうか。
損得で自分の意を通すために相手を変えようとしていないか~これも大事です。

相手を変えられる時。それは神の時。
普通は自分自身を正し 整えば、相手が自動的に変化するのですが、
時と場合によって、まさに神の「時がある」のです。

  「天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。
    生るるに時があり、死ぬるに時があり、
      植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、
        殺すに時があり、いやすに時があり、
   ……愛するに時があり、憎むに時があり、
        戦うに時があり、和らぐに時がある」。

(伝道の書三章一~九節)

あらゆることを自分の努力だけで解決できると 思いあがってはなりません。
努力は必要ですが、「時は神の領域」です。

思う事 祈る事が 成されない時、
私は いつもこのみ言葉を思い浮かべて祈ります。
「どうか、御心ならば神様の時が来ますように~」と、、、

他者受容の第一は、あるがままの自分を善しとする事ですから
相手を受け入れられない自分もまた、あるがままで今は受け入れられないと
思っていていいんですよ。
自分を過度にに責めない事です。 責めたら自己否定ですからね。

相手も責めたくなるわよね。それまた相手を否定してしまう自分を
まずあるがままに、今の自分は相手を責めたくてしょうがないんだって
受け入れてしまいましょう。 
それはしょうがないさ~あなたが悪いんじゃないんだもんね。 まず自己受容さ!
by kinnowaraji53 | 2010-06-13 09:44 | カウンセリング