地名
2012年 01月 21日
忘れた人の為に抜粋すると、「サンズイ」がつく地名は水害の危険を考えようと~
さて、この辺には江田とか荏田と言うのがあります。
文字は違いますが、音で聞いたら同じです。
これは、音ありきで、地名を登録する必要が生じて漢字を当てはめたのかな?
歴史はともかく、関西人が聞いたら、この地名を差別用語と重ねてしまうかも・・・
実際「ここはどう言う人が住んでいる街なのかと聞かれた事があります。
さて、地名によってその街が歴史的にどうだったのかを知るのも面白いので
街の郷土史などがあれば、読んでから歩くのも良いですよね。
別荘のある島は、村上水軍の居城があったので、古い資料を読むと
ほんまかいな~と思うような史実も有るんですね。
弘法大師ゆかりの石とかも有って、、、それがうちの庭にあるんで困っています。
動かせないんです。ありがた過ぎて、、、? 多分何トンもあると思うわ。
庭の位置や玄関の位置を決めるのにその石が邪魔で、、、
勿体ない事を!!罰あたりめが!
今では、その石が毎年の記念撮影場所になっていて、
島に来た人が帰る時は必ずその石に座って写真を写します。
ご利益どころか、お尻をのせるなんて 罰あたりなのかもしれませんね。
そう言った信仰心がないのと、石は石でしかないと思うので
動かさないだけでも良いんじゃないのかなと思っています。
地元の人がきっと動かしたら災難が来るとかなんとか言いだしそうなので
人の心には配慮しています。
この島の地名も、百島と言う名前が元は桃の花が咲く桃島であったそうです。
本村は当然ながら城の下にあって寺などの重要な施設がある場所です。
泊村は、たいていの港町がそうであるように、船が停泊する泊りです。
後は丑寅(方角)とか、新開(新たにに開発された)とか
地元の人が解りやすいように付けた地名のようです。
郷土研究をしている人は、この島の年中行事についても調べて
お弓行事と言うのをブログに掲載していました。
室町時代の名残なんて聞くとビックリ~水軍は古くから活躍していたもんね。
承平天慶の乱に活躍した藤原純友あたりがルーツかもしれませんね。
奇麗な花の名前や、印象が良い木々の名前を付けた丘とか谷とか言う地名
ここもそう言う名前だらけの住宅街ですが、
そりゃ奇麗な名前の土地なら売れるでしょうね。
でも危険を知らせる地名は後世まで残して欲しいと思います。