考えすぎちゃうから出来ないとか、欲張りだからとか、淡泊だからとか
女性が自立して結婚する意味が無くなったからとか、、、
いろいろの説があります。
親の世代はバブルを越えて、それなりの年金も確保できそうで、
そこそこ努力の甲斐あっての生活をしていますが、
若い人が結婚してそれと同じレベルの暮らしができるはずがないのに、
生活を落としたくないと考えている人がいます。
なまじ女性が生活できるくらい稼げる時代だからね~
ブランドも買えるほどほどの楽な生活が良いとか
子供は私学に入れたいとか、絶対別居が良いとか、
庭付き一戸建てが無理でも 駅近マンションが良いとか。。。
手鍋さげても愛する人のもとに、、、という選択肢が少なくなったようです。
さて、
今の若い人の親の年代は 既に共稼ぎの家庭が多くなった時代です。
当然子供は親によって満たされない不安な心を持ちますし、
愛する親と毎朝別れるのはどれほど不安でしょう。
親がいなければ生きてゆけない ひ弱な存在が 親と切り離される不安
それは自分がこの世に存在してはならないと言われているほどの大きな不安です。
この分離不安を言葉を介さない時代に 心の奥に持ってしまいます。
言葉で理解しないままに記憶した不安は言葉ではなかなか払拭できません。
不安感覚として原始的な脳幹に刻まれるのではないかと言われます。
だから、払拭できないままに大人になります。なんだか不安で、、、、
大人になって なぜか人と離れる時に不安になる。
だから密接な関係を築くのに躊躇する。 人を容易に信じない。
頼って肩透かしされるよりは 頼らない方が楽だ。
などと、他人との関係がどんどん希薄になってしまうのです。
その現れとしての言語表現が「かもね~」「だったりして~」「たぶん」「じゃない?」
等のような断言しない言葉でほとんどの会話をしてしまいます。
あいまい表現や、まるで疑問形のような言い方での語尾のぼかしなどもそうです。
失敗したら叱られる 完璧でなければならないと言う強迫観念も
過保護で育った人にはあるかも知れません。
親が家庭にいないのと過保護は 別の気がするでしょうが実は、、、
仕事で子供世話ができなかった負い目が言葉になってしまう母親が多いのです。
宿題やった?ちゃんとしてね。お母さん忙しいんだからきちんとしてね。
などと、自分が手の回らない部分を子供の責任として押し付けたりするので
子供は過剰な負担を強いられています。
更に、子供は「忙しい」が口癖の母親には 頼ってはならないと思いますから
自己犠牲を厭わないのです。愛ゆえに。。。
親孝行のなれの果て~?自己犠牲のAC
そして結婚しても たいして幸福ではないと言う親の見本があります。
あくせく働いて愚痴っぽくなり、明日の心配ばかりしている親を見て育つ。
夢を持って結婚できる時代ではないのかもしれませんが、
もし、幸せに満ちた幼少時期を送り、親が円満で、素敵な見本を見せてくれて
愛し合って一緒にいるとこんなにも笑顔が溢れるのだと知っていたら
結婚に夢も希望も持つのかもしれません。
アハハ~わたしゃ^^反省しきり。
息子達は、この父親を見て、母親にかしづかれている姿に安心して結婚?
娘は この母親のようになりたくはないと 未婚を通そうとしている?
こりゃまいったね。結婚に夢を持てるはずがないわ。
さて、閑話休題
分離不安は、人が離れてしまう、捨てられる、仲間はずれになる。
そう言う不安も強いから、捨てられないように媚びる人も有り
人に捨てられないように最初から出会わないようにして人を避ける人も有り、
媚びて連なる人と、媚びずに孤立する人は同じ穴のむじなです。
では、自立して人と円滑かつ良好な交流ができる人は、、、
つかず離れず適切に関係を保てます。
「相手の必要」に応じての、対応ができる、
「自分が負担」になれば、はっきり断れる。
たったこれだけのことができなくて悩みを増やしている人が多い時代なのです。
言葉を買いする前に持った不安でも、少しづつ開放してあげて、
取り去る事も出来ます。
心の奥に持ってしまった傷を持ち続けると思考が悲観的になりますが、
乗り越えたらむしろその経験を活かして、アグレッシブに対応できます。
同じように悩んだ人も、問題に直面した場合 この差が大きいのです。